「ユイトと双子の探偵生活 File 001 御蔵入りの兄妹」サンプル - 2/2

「違うってユイト、ここはこの公式だろ」
「あれっ、そうだっけか」
十日ほどが経過したある日の昼下がり。俺の心は真っ青に晴れた窓の外の空と真逆で曇りきっていた。家族を亡くしてからはずっとそんな感じなので当然といえば当然なのだが、それだけではない。慣れない家庭教師という仕事に苦戦していたのだ。
「ぜんっぜん駄目じゃねーか! 俺たちのほうが頭いいんじゃねーの?」
イルが文句を言いながら問題を解いていたシャープペンシルを放り出す。
「あのなあ、もう俺が現役を退いてから何十年経ってると思ってるんだ」
「五十年くらいかしら」
「俺はまだ四十一だ!」
そんなにも俺は老けて見えるのだろうか。ここ暫くの不摂生でかなり老け込んでしまったかもしれないとはいえ、ここ最近の四十代男性といえばアイドルだってまだまだ現役で活躍しているほどなのだが。
「はいはい。まあ、ちょっとばかし休憩しようぜ。なんかやる気削がれたし」
「また休憩か? さっきも休んだばかりだろう。そもそも学校へ行けばいいんじゃないのか? 行きたくない理由でもあるなら無理強いはしないが」
「駄目駄目、センセーとやらより俺たちのほうが頭いいもん。それなのに威張ってくるし、あんなとこ行く価値ねーよ」
「そうね。それに、たまに行くと珍しいものでも見るような目で見られるのも嫌」
……それはたまにしか顔を出さないからではないのだろうか。
「そうか。いじめられてるとかそういうことじゃないのならまあいいんだが」
「はあ? 誰がそんなことされるかよ。仮に何かされたとして逆にやり返すっての。なあイリ?」
「当然。三倍にして返すわ」
十倍や百倍でないあたりが逆にリアルで怖い。まあ、いじめなどというわけではないようで安心した。
……ん、待て。安心? 俺は少しばかり彼らに対して入れ込みすぎてしまっているような気がする。
彼らが唯斗と同じ歳だからだろうか。どうも放っておけない。
「はー、暇だな。ユイト、なんか芸でもしてくれよ」
「俺は曲芸師でもなければサーカスの座長でもないぞ」
ましてや芸人というわけでもない。俺に出来るのはせいぜいパズルを解く程度のことだけだ。
するとイルは不満なのかぷぅっと膨れ、テーブルにあったテレビのリモコンのスイッチを押した。テレビの画面の中に数名のコメンテーターらしき男女が現れ、何かについてああでもない、こうでもないと話している。所謂ワイドショーのようだ。
暫くぼうっと眺めていると、急に画面が切り替わった。
『緊急ニュースが入りました。神奈山県縦浜市のドリーミングランドにて、ギフト能力者によるものと思われる傷害事件が発生しました。通り魔的な犯行と見られています。犠牲者は二名おり、病院へ搬送されましたが意識不明の重体との情報が入っています。近隣の住民の皆様におかれましては――』
「近くの遊園地じゃねーか、怖えな」
「そうね。まあ、遊園地なんて行ったこともないし、わたしたちには無縁だけれど気をつけるに越したことはないわ。ねえ、ユイト。……ユイト?」
俺は、そのニュースを見て硬直していた。否。怒りに震えていた、と言ったほうが正しい。思わず声を荒らげ叫ぶ。
「どうして……どうして、ギフト能力者は皆そうなんだ!」
「ユイト? 落ち着けよ、知ってるやつがやられでもしたのか?」
違う。この事件の犠牲者が俺の知っている人物だとか、そういうわけではない。
「……妻と息子が、ギフト能力者に殺されたんだ」
絞り出すようにそう答えると二人は黙り込む。
「ギフトというのは、知ってるよな」
「――ああ。神からの祝福。いわば超能力のようなもの。人類の十人に一人ほどはギフト能力者だ。彼らはギフトを与えられた、神に選ばれた人間だと言われている」
そう。基本的には頭脳や体力の強化や予知などといったもので、例えば違う人物に変身したり空を飛んだりといった突拍子のない能力というものは存在しない。
当然、死んだ人間を生き返らせるといった能力も存在しない。
「ギフトを悪用した犯罪者だったよ。妻と息子は見せしめにと俺の目の前で殺されたんだ。だから、俺はギフトを憎んでいる。何が祝福だ。ふざけたこと言いやがって」
俺はどれほど冷たい目をしていただろうか。イリはリモコンに手を伸ばし、テレビを消した。
部屋は静寂に包まれ、ギクシャクとした空気が立ち込める。
「……すまない。今日の勉強は終いだ。夕飯を作ってくるよ」
俺は二人から目を逸らすと、部屋をあとにした。
夕飯の時間も、その後も、俺たちの間には気まずい空気が流れ続けた。

 

その日の夜。俺は与えられた部屋で眠って――いなかった。
やはりこれ以上俺はここにいるべきではない。二人が眠っている間に屋敷を出ていこう。そう考えて、実行に移しているところである。
さて、玄関から出れば施錠が出来ない。昼間の通り魔は捕まったというニュースが流れていたが、物騒な世の中だ。万が一、何かあってはいけない。
と、すると二階の窓あたりから出るのが無難か。少々危険を伴うが、落ちてもまあ余程のことがなければ死にはしない。鍵は閉められずとも、窓とカーテンさえきっちり閉めておけばまずここの鍵が開いているなんて外からはわからないだろう。
などと考えてはいたのだが、窓を開けた瞬間、すべての計画は却下となった。
外は、どしゃ降りの大雨だった。
「おいおい、昼間は晴れてたじゃないかよ……」
俺はそう呟くと何も見なかったかのようにそっと窓を閉めた。強行することも出来たが、今の俺にとってはすべてが面倒になっていたのだ。
「……寝るか」
とは言ったものの寝付けるはずなどなく。寝ようと思えば思うほど逆に目は冴えていく。心を無にしようとしても脳裏に昼間のニュース映像、そして妻と息子の顔がちらつくばかりだ。
目を閉じて横になっても時間だけが過ぎていく。ならばと瞑想してみたりもしたがかえって色々考えてしまい、逆効果でしかなかった。最終的に羊を数えるなんていう古典的な方法まで試したところ、多少気が紛れたのか少しばかり頭がぼうっとしてきた。いけるか。しかし、次の瞬間。派手な音と光に叩き起こされた。
――雷か。
「どうしたもんかなあ」
時刻は午前三時。仕事もしていない今、普段ならば別に眠れなくても大して問題はなかった。事実、昼夜逆転した生活を送っていた日もある。
だが、ここに来てからはイルとイリの朝食の支度という仕事がある。
俺が来る前の彼らの食生活はほぼ出前とコンビニ、稀に外食といった感じだったそうだ。さらに朝食に至っては、用意するのが面倒だと言ってほとんどの場合抜いていたと言っていた。
つまり、俺が作らなければ彼らは何も食べないだろう。決して寝坊などするわけには行かない。今眠ればなんとか六時過ぎには起きられるはずだ。
「ホットミルクでも飲むかな……」
のそのそと起き上がると、部屋を出て真っ暗な廊下を突き進む。時折雷の光で強制的に照らされる以外はほぼ光がない。
俺があてがわれた部屋から廊下の突き当たりまで進み、右に曲がったところの階段を下りるとキッチンがある。非常識な広さではないとはいえ、子供二人が暮らすにしてはかなり広い屋敷だ。キッチンまで行くだけでも一苦労である。
階段の手前まで来るとまた空が鋭く光り、少し遅れて雷が鳴った。それとほぼ同時に甲高い悲鳴が上がった。すぐ横の部屋、イルとイリの寝室からだ。見れば、明かりがついているらしく少しだけ開いたドアの隙間から光が漏れていた。
そっと覗くと、そこには布団を被って蹲るイリと、彼女の眼前にしゃがみ込んで彼女の頭を撫でているイルの姿があった。
この二人にもこんな子供らしい一面があったのか。数日一緒に過ごしてわかったことだが、この二人は異常なまでに子供らしくなかった。いや、子供のような言動をすることもあるにはあるのだが、どこか達観しているというべきか。とにかく、普通の子供とは何かが違っていた。
そんなことを考えていると、空がまた派手に光る。
「いやあああっ!」
「大丈夫だ、イリ! 俺がいるから! だから、うわあああああっ!」
イルも必死で強がっているようだが、雷の音が聞こえると流石に怖かったのか声を上げた。よく見ればイリの頭を撫でる手が震えている。
そういえば、唯斗も幼い頃は雷が苦手だったことを思い出した。雷の夜になると妻と唯斗と三人で一緒に眠ったものだ。
俺は、ドアをそっと開けると二人の元へと歩み寄る。目に涙を浮かべたイルは一瞬警戒したような素振りを見せたが、俺が両手を上げてみせて危害を加える気がない旨を示すとふっと表情を緩めた。
「……もう大丈夫だ。怖かったな」
二人を抱きしめ頭を撫でてやると、二人は安心したような表情を浮かべた。
イルもイリも、普通の子供と何も変わらない。
――俺が、守らなくては。

 

目を覚ますと、そこには見慣れない天井があった。
はて。前にもこんなことがあったような気がする、と考えたところで我に返った。
「まずい! 寝坊した!」
時計を見ると、時刻は既に午前八時を回っていた。
慌てて飛び起きようと上体を起こしたが、何かにそれを阻まれたような感触とともに俺はベッドに沈んだ。
見れば、右腕にイルが、左腕にイリがしがみついていた。
「なっ……あー、いや、そうか。あのまま眠ってしまったのか」
両腕にしがみつかれ、若干犯罪でも犯しているかのようにも見える。しかしまあ、ここには咎める者は誰もいないので気にしないことにした。
なんにせよ、このままでは起き上がることが出来ない。二人が起きるまで待つしかなさそうだ。
幸い、二人がまだ眠っているならば朝食は遅くてもいいだろう。
「今日の朝食は簡単にトーストとインスタントコーヒーで決定だな」
普段ならばコーヒーは豆から挽き、サンドイッチにサラダ、自家製ヨーグルトもつけるところなのだが。
一人でいるときは朝食など適当の極みで、酷いときは昼すぎまで寝ているなんてこともしばしばだった。それなのに、誰かのために作るとなると不思議と健康的な朝食が作れるものだと我ながら感心する。
ふと窓の外を見ると、昨夜の雷雨がまるで嘘のように雲ひとつない快晴だった。お出かけ日和、というやつだ。
そういえば、ここに来てから二人は屋敷に篭もったままだ。俺を拾ったあの日は外に出ていたようだが、のちに聞いたところ学校に試験だけ受けに行った帰りだったらしい。そう言われてみれば中間試験の時期だ。
ニュースの内容に気を取られて聞き流してしまったのだが、そういえば遊園地に行ったことがないと昨日言っていたような気がする。
なるほど、それならば――。
「よし!」
「……何がよしだよ」
「起きたのか」
右側を見ると、イルがその大きな瞳で俺の顔をじっと見ていた。左側に視線を移すと、イリも眠そうに目を開けた。
「ユイトのでかい声で起きちまったよ」
「そうか、それはすまなかったな。ところで、そろそろ離してもらえるかい?」
やんわりとそう頼むとイルとイリは俺の腕にしがみついていることにようやく気づいたらしく、ぱっと離れた。無意識での行動だったらしい。
「ああ、一生の不覚だわ……」
「いっ、イリに何かしなかっただろうな!」
二人は、いつものイルとイリに戻っていた。この態度は少しばかり寂しい気もするが、通常運転が一番だ。
「してないよ、する気もないし、そもそも動けなかっただろう?」
「わたしの胸が小さいから手を出す気になれないんだわ……」
「イリを前にその言いぐさはなんだよ! こんなに魅力たっぷりだろ!」
いやいや。ならばどう答えれば正解だというのか。
「で? 何が『よし』なのかしら?」
イリは眠そうな目を擦りながらそう問うてくる。俺はベッドから立ち上がり、二人と目線を合わせるように屈むとこう言った。
「遊園地へ行こう!」
「へ?」
「は?」

 

続きは本編でお楽しみくださいませ。

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